ー その4 ー


 このページではさらに過去へ、ルベンの生い立ちから追っていきましょう。
 Rubén González Fontanills は、1919年5月26日、キューバ中央部のサンタ・クララに生まれました。お姉さんが2人います。その後シエンフエゴスに移り、そこで Amparo Rizo という先生にピアノを習っています。高校を卒業するとハバナに渡り、意外にもハバナ大学で薬学を専攻しました。こういう経歴を見ると、もしかしたらGonzález家は比較的裕福だったのかもしれませんね。でも彼はその道には進まず、サンタ・クララに戻り、ピアニストとして仕事をしはじめます。40年に再びハバナに渡り、Paulina Álvarez(Danzon Cantado の歌手)のバンド(下写真)に参加、そして偶然にも同じブロックに住んでいた Arsenio Rodríguez のコンフントに抜擢され、43年にルベンにとっては初の録音をすることになります。実は彼はこの録音を持っていなく、ボクがテープにコピーしてプレゼントしたのですが、どうも彼はあまりこの録音を気に入っていない様子でした。ボクもそうですが、20代の頃の演奏なんて気恥ずかしいもんです。


どれも貴重だが、この写真はその中でも特に貴重。現存するルベン(左端)の最古の写真ではないかと思う
Paulina Álvarez(中央の女性) のバンド(40年代初期)


 左の写真もかなり古い写真です。Paulina Álvarez のバンドから Arsenio Rodríguez のコンフントに移る前か、あるいはどちらかと同時期のものと思われます。奥さんもルベンと知り合う随分前の時代なので、彼女の記憶も曖昧になっているのですが、彼女曰く "Rayito Del Sol" というバンドだそうです。随分痩せてますね、ルベン(右端)。
 このバンド、どんなバンドなのか皆目見当がつきませんが、写真をよく見ると、後にルベンが参加する "Estrellas Negras" と何人かメンバーが重複しているようなので、その前身になったバンドといえるかもしれません。

 46年にルベンが「パナマに行くからボクに替わってピアノを弾いてくれないか」とリリ・マルティーネスにアルセニオ・ロドリゲスのコンフントへの加入を促した話は有名 (?) ですよね。その後のアルセニオの大成功は言うまでもないのですが、その「パナマに行く」仕事というのが "Estrellas Negras"(下写真)によるものです。このバンドは47年までの1年間でパナマのみならず、アルゼンチン、ベネスエラにもツアーをしています。このベネスエラ、その後の彼の仕事とリンクしてそうですね。
 写真を見る限り、このバンドは典型的なコンフント編成ですね。アルセニオ・ロドリゲスが作ったこの編成が、この頃すでにポピュラーになっていたことをうかがわせる、といった点でも貴重な証拠といえそうです。是非とも音を聞いてみたいものですね。



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